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教えて!ナカリの歴史 後編
教えて!ナカリさん
教えて!ナカリの歴史 後編
前回は、ナカリの歴史を学んだひかりちゃん
今回は現代まで続くナカリの歴史の話をお送りします。
ひかりちゃん、
前回は、パワフルな女性【あきゑさん】のお話をしたと思うんだけど
本当に、あきゑさんはパワフルで、行動力があって、すごいと思いました。
色んなエピソードがドラマみたいで、聞いてて楽しかったです!
それはよかった!
ナカリはそうやって、色々な人達のドラマで出来上がった会社なんだよねー。
今日は、戦後ナカリが改めてスタートしていった話から、現代に至るまでお話しするね!
おねがいしまーす!
個人の商店から企業へ
1951(昭和26)年、ナカリは【第一次米穀集荷業者】に登録しました。とても簡単にいうと、お米を集める人だね!
おぉ、ついに!今やってることの基礎的なところですね!
そういうこと!
その当時に建てた石造りの蔵は今もナカリのシンボルになっています。
おぉー、立派な蔵!
ここで米あつめを始めて、1956(昭和31)年に【株式会社中利商店】になったんだ。いよいよ【企業】としての歴史がスタートしたんだね。
なるほどー。
やっぱりあきゑさんのパワーがあったからここまで来たみたいな感じですよね
良一社長とのバランスも良かったみたいだね。
あきゑさんの孫であり、今の社長である、4代目 中村信一郎社長もその名コンビぶりは語っているんだよね。
無謀なことはせずに、いつも将来を見据えて堅実な「挑戦」を心掛けた良一社長と、
「ヒラメキ&即実行」な行動力のある、あきゑさんとのコンビのおかげでナカリは発展していくんだね。
なるほどー、二人三脚だったってことですね!
その「ヒラメキ」の中に、「くず米(加工用米)」との出会いがあったんだ。
1961(昭和36)年ごろから、その「くず米」を集めて、白くきれいに仕上げて、おせんべいやお菓子のメーカーに売る、「オールライスメーカー®」へと進化しはじめたんだ。
おぉ!だいぶ今のナカリに近づいてきましたね!
成長していくナカリ
高度成長の時代背景もあって、加工用米は作ればどんどん売れたそうだよ。
すごい!タイミングがいいというか、強運というか、、、
いっぱい儲かったら、私なら「これだけ頑張ったし、
ちょっとくらい贅沢したり、ラクしたい!!」って思っちゃう(笑)
「母(あきゑさん)は、贅沢したい、いい暮らしがしたい、という気持ちよりもナカリが発展することだけを願っているように見えた」とあきゑさんの長男、三代目 光良社長は本の中で言っているね。
本当、「明けても暮れても」商売が好きな人なんですね、、、
そんなにも夢中になれることがあるって、ウラヤマシイかも、、、
あきゑさんの背中を見て育った光良社長も、その思いを引き継いで「儲けから税金を払ったら、残りは設備投資と、会社の貯金にする」ことを徹底したんだ。
それでこんなにたくさんの工場や倉庫ができていったんですね!
そういうこと!
初期の加工用米の工場は1日15tの生産能力だったけど、8年後の1969(昭和44)年には1日100tの工場を作ったんだ。
どんどん大きくなっていったんですね!
今の表事務所が入る建物も、事務所兼自宅として1971(昭和46)年にできたんだよ!
設備投資でもっと集める、もっと作る、もっと売る体制をどんどん拡大していったんだ。
そしていまのナカリがあるんだね。
なるほどー。思ってた以上にマジメな会社でした!
挑戦のDNA
でも、なんか、ナカリって【運】も持っている会社ですよね!
良一さんが何度も兵役や戦場に行っても無事に生還できたり、
くず米の商売が時代の流れにうまく乗れたという【運】のよさもあるけど、
やっぱり根本にあるのは【挑戦】のDNAだと思うんだよね。
挑戦?
野良仕事をやめて、商売に【挑戦】したこと、
集荷業者としての再出発に【挑戦】したこと、
くず米を加工用米にする新規事業に【挑戦】したこと、、、
たしかに、いろんな挑戦があって、今のナカリがありますね
設備投資ももっとたくさんのお客さんに喜んでもらいたくて、【挑戦】し続けてきた証明なんだよね。
そして今でも挑戦は続いているんだ。
いままでも、これからも。
がんばって挑戦するから運も引き寄せるのかな?
ははは、そうなのかも知れないね。
よし、わたしもダイエットに挑戦して、素敵な彼氏を引き寄せるぞー!!
・・・がんばって(苦笑)
ナカリに根づく挑戦のDNAに感動した(?)、ひかりちゃん。
次回はナカリの「働き方開拓」を紹介します。
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